なんでもペラペラ喋る馬鹿正直

 私は嘘や隠し事が苦手で、なんでもペラペラ余計なことをしゃべる癖がある。

 これまで多少は相手に合せて余計なことを言わないように、多少は苦手なりに嘘や隠し事もして生きてきたが、配信者となると公開している情報の多さや、不特定多数のリスナーに向けて長時間雑談をするスタイルや、配信者を潰すためにやましいことが何かあったら暴露しようと目論んでいるアンチの存在のせいで余計に嘘や隠し事は難しくなる。そうなると、知られても不利になったりリスクにしかならないことを知られてしまったり、自分のことだけならまだしも、私の性格上、自分だけでなく他人の秘密や個人情報まで危険に晒すことになるので厄介だ。

 さらに、私はいちいち言わなくていいことや失礼なことでも馬鹿正直に言ってしまう癖がある。前回の記事にも書いたが、「理解してほしい」「どうしてわかってくれないの!」という気持ちが他人に対して強すぎて、自分の置かれた状況や考えや感情を、どうせ伝わらない相手に一から十まで説明して伝えようと必死になってしまうのだ。

 インターネットに携わる人間の特性としては、ネットリテラシーが皆無で、スルースキルもないという最悪な人間ということになるが、このような自己開示の問題はASDの特性からくるものだ。ASDは、言葉の裏の意味や冗談を理解するのが難しく、言葉通りに受け取りすぎたり、そのせいで空気が読めなかったり、臨機応変に嘘や隠し事が言えずに思ったことをなんでも口に出してしまう傾向がある。私は広汎性発達神経症の検査でASDに関しては、成長とともにコミュニケーション能力を身に着けてきたという理由でグレーゾーン(健常者と障害者の間くらい)と診断されている。それでもASD特性からくるコミュニケーションの問題は、とくに配信者として生きていく上ではとても大きい。

 私は自分のだらしなさや自己管理能力のなさ、ドジで些細なミスをしやすい不注意の問題などに関しては自身のADHDの特性の問題として最近はよく考えて対処しようとしてきた(具体的には、部屋の片づけや掃除の仕方の工夫、身だしなみを清潔に保つための自己管理、書類の提出や事務手続きを期限以内に終わらすなど予定を予定通りこなすためのタイムマネジメント)。しかし、ASDからくるコミュニケーションの問題に関しては、友人が多くて人付き合いにそこそこの自信があったり、グレーゾーンと診断されていることもあってあまり気にしてこなかった。しかし、改めてメンタルクリニック認知行動療法を進めていくうちに、過剰な自己開示をしてしまうというコミュニケーションスキルの問題はけっこう自分自身を苦しめているということを実感してきた。

 私は「素直で正直なところが好き」と言われたら嬉しい。でもそれがいつも自分や他人のためになることとは限らない。

 たとえば、私はこれまでの仕事の経歴もあって、配信上でも友人や知人に対しても性的な話をすることが多かった。私が関心のあることは小難しい偏った知識の話が多いので、下ネタだったら多くの人と共有して笑いのネタにできるというのもあって積極的に性的な話題を楽しんできた。ところが、一定の信頼関係があればそれは楽しいおしゃべりというだけで済むかもしれないが、性的な話を積極的にする=軽くて誰とでもセックスをする、ワンチャンスある、セクハラをしてもかまわないといった誤解や偏見を持つ男性が世間にはいまだに多いことを考えるとリスクも大きい。実際に、私はいきつけのバーで知り合った初対面の男性客とフランクに性的な話をしたことが理由で準強制わいせつ致傷の被害にあった。バーで酔いつぶれて眠っている間にブラジャーを外されて胸を揉まれ、それに私が怒って喧嘩になると、男性客は「30歳の元風俗嬢のくせに、値打ちこくな!」と怒鳴られ、手首をつかまれ、声が出なくなるほど首をしめられた。性的に奔放に見えて年齢も高い私が彼の誘いを断ったり、さらにはセクハラを訴えたことが、彼の男性としてのプライドを傷つけたのだろう。配信を見て事件に気づいたぜろわんさんが助けに来なければ、私は殺されていたかもしれない。

 その事件のあと、いつも応援してくれるリスナーたちからは慰めや励ましよりも先に「軽く見られるようなことはするな」などと責められ、事件の被害以上のショックを受けた。私は自分を守るために、安全な人間とは普通に楽しめるおしゃべりも封印されてしまうということにとても不自由を感じた。

 多くの人に自己開示することは、自分を理解してくれたり共感してくれる人との出会いのきっかけになると同時に、同じくらい誤解や偏見を向けられて傷つくリスクを抱えている。

 最近になって、初めてASDの個別面談で作業療法士さんに自己開示と配信についての悩みを打ち明けた。発達障害専門プログラムのワークブックによれば、自己開示には三段階ある。まず、初対面でも話せて電車内などの公的な場所でも話せる内容、次に、知り合いなら話せたり、知っている人しかいない場所なら話せる内容、最後に、きわめて個人的な告白、信頼できる相手だけに話せる深刻な内容だ。三つ目は相手を選ぶ必要がある。私はこれまでこのすべてを常に区別できずに、無防備に全世界に発信してきたのだ。

 私はいつでも本当のことを伝えていたい。本音でいたい。しかし、私は今後の配信をしていく上で自分の心を守るために、そしてリスナーたちとのより良い関係性を守るために、お互いを傷つけないために自己開示に関するルールをいくつか設けた。

 

1・守らなければいけない秘密は常に意識して守る

2・指示や説教に対しては、「できたらやる」「そのうちやる」とごまかして、できない言い訳を付け加える。実際やらなくてもいい。応援する気持ちに対しては「ありがとう」、批判に対しては「不快にさせたり心配をかけてごめんね」と返す。

3・差別や偏見、決めつけに対しては「そうかもしれないね」「なんともいえない」と、否定も肯定もしない。

4・行き過ぎたからかいや冗談に対しては、ノリ良く対応するか、怒って見せてツッコミ待ち。

5・セクハラに対しては「私なんかよりもっと良い人いるでしょう」と、自虐で断る。

 

 この五つだ。

 新しいコメント対応のルールを設けてこれらをマニュアル化してから、「リスナーに気を遣いすぎ」という意見を言われたこともある。しかし、私はこの5つ以外に関しては極力本音で話すようにしていて、自分を偽りたいとは思っていない。なんなら、こういうルールでやってることをこうして公表もしている。これから少しづつ、自己開示の量を調節して大人のコミュニケーションができるようになりたい。

 アドバイスが行き過ぎて説教臭くなる人も、期待しすぎてあれこれ要求してくる人も、私に何か願望を抱いてそこにない幻想を見ている人も、いじったりからかったりときにはいじめてくる人も、性的興味を抱く人も、かたちは歪であれみんな私にそれぞれの愛をくれている。それでもリスナーたちに対して、「なんでわかってくれないの」病をこじらせて不満やストレスを抱えてしまうときもある。そんなときはそんな自分の理解者であろうとしたいし、自分自身を存分に労わろうと思う。きっとそれが、本当の自分を見てくれなかったとしても、少なくとも自分を愛して応援してくれるリスナーを受け入れることにつながると信じている。